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ロシア議会 上院でも下院でも

 ウクライナ東部、南部4州をロシアに併合したニュースが何度も流れている。下院も上院も併合に反対する議員はいない。反対票0である。であるのに、別のニュースでは入隊を逃れようとするロシア人が国境で列をなして並んでいる光景を流している。二つのニュースは、うまく結びついていない、どこかおかしいとは思わないだろうか。ロシアを出国した人、出国しようとする人たちはどんな議員に投票したのだろうか。

金城学院高等部文化祭にて講演

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 9月23日午前10時45分から11時30分の45分間講演しました。ロシア侵攻前の情報の混乱、人侵攻後の難しい判断、ウクライナ人家族の様子などを話しました。台風の影響でひどく雨が降り、だれも来てくれないんじゃないかと心配しました。しかし、生徒会の皆さんが熱心にPRしてくれたお陰で、大勢の方々に集まっていただきました。感謝しています。
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 9月22日(木)安城学園高校の文化祭にジャクユーサポートのパネルを展示しました。22日限りの1日展示ですが、大勢の学園生が見てくれることを期待しています。安城学園生には、講演会、ヒマワリの栽培など、いつもウクライナ問題に関心を寄せてもらっています。

高校生からの質問3

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  日本へ来たウクライナ人 13 現在、日本にいて困っていることはあるのか。(現在の日本の生活 において、不足している支援や必要とする支援は何か) (1)生活必要備品はそろっている。 (2)日本財団からの現金支給(1年間一人100万円)があると して、日本人の生活保護費(単身者であれば1ヶ月あたり10万円 ~13万円の現金支給)に近い。 (3) 日本語の読み書きができないために、各種通知が理解できない。 (4) 収入面での将来不安が大きい。将来設計が明確に立てられない状況 をサポートする必要がある。 14 日本に来たことで浮上した文化や民族性の違いによる齟齬(食い違 い) (1)最大の悩みは、日本のパンは全て柔らかい菓子パンであるこ と。ウクライナのパンは固い。チーズ、野菜、ハムなどの乗せて食 べるのが一般的。 (2)日本はカードを使えない。ウクライナはスマホで支払える。 現金は不要。 (3)道路が右左反対。 (4)バス、地下鉄、JRなど全てが距離によって値段が上がる。 ウクライナは市内ならどこまでいっても同じ値段。 (5) 野菜や果物が高すぎる。ウクライナはパック売りではなく、量り売 り。小さなジャガイモはどこへ行った? 戦争と情報 15 銃や爆弾に遭遇したことはあるか。 (1)2月24日からの1週間で、キエフとその近郊でミサイルが 何発か落ちた。しかし、実弾やミサイルが目の前に飛んできたこと はない。 16 ウクライナに残っている人達は逃げずに戦うと決めたからいるのか 、逃げ切れなかったのか。 (1) 戦うと決めた人、様々な事情から残ることを決めた人、国内の疎開 を決めた人など様々な人がいる。移動手段(鉄道、自動車、 バスなど)がないと、逃げることは難しくなる。鉄道は 3月1日から無料となったが、ダイヤは乱れ本数が少なくなった。 また、駅は大変な混雑であった。 17 今、戦争に対してどう考えているのか。 (1) 戦争は、政治家が起こすもの。国民は何も知らないうちに始まるも のだと思った。 (2) 決してロシアを許すことはできない。こういった思いは、日本に対 する韓国人や中国人の思いも同じであろうと思う。 18 なぜ戦争が始まったのか、具体的に知りたい (1) 【私見であるが】歴史的にロシアは、ウクライナに投資してきた。 南部港湾都市オ デーサ、クリミア半島の軍港

高校生からの質問2

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  避難生活2 5 ウクライナにいた時に、食料はどうやって調達していたのか。戦争 中、どうやって食べ物を獲得しているのか。 (1) パン屋さん、レストランなどが3か月分の食糧を備蓄していた。食 料は、そこから配給されていた。 (2)基本的には配給によっていた。たまに、警報が鳴り止んでか ら、近くに一か所だけコンビニが営業していたので、配給食糧の足 しにするためにスナック類を買った。このコンビニが混み合うこと はなかった。ただ、仕入れはなかったので商品が全部なくなったら 営業を止める予定であった。 (3)歩いて10分ほどにあった大きなスーパーは営業していた。 このスーパーには商品が供給されていた。そこまで往復で20分。 買っている時間を含むと3,40分はかかる。その時間を費やして まで行く気持ちにはならなかった。 6 避難所で、1日どんな生活を過ごすのか。 (1) Wifiが設置されているので、1日の大半はネット情報を検索し ていた。警報が鳴り止んでしばらく様子を見て、自宅に帰りシャワ ーを浴びたこともある。 (2)食料が配給されてくるが、食欲はわかなかった。 7 他国に逃れてきたウクライナの方々は、どのように生活しているの か。(金銭や住んでいる場所) (1) 隣国ポーランドは、最大時で300万人の避難民を受け容れた。当 初は、大規模避難所を設置し、無料アパート、ホームスティなどを 割り振って生活支援をしてきた。交通機関を利用するにあたり、ポ ーランド他EU内は無料で移動できた。また、医療費も無料であっ た。しかし、仕事に就けた人の割合は少なく、収入を得られないた めウクライナに戻る人も多かった。 8 自国から離れた人が困っていることは何か。 (1)現実的な問題として、仕事がない、金がない、言葉が分から ない、子供の教育など。 (2) 精神的な思いとして、早く故郷へ帰りたい、なぜ隣国にいなければ ならないかという運命への思いなど。 (3) 将来的な展望に関して、将来に希望がない、これからどうなるんだ ろうなど。 現地の今 9 私たちと同じ世代の学生の人たちは、今どうなっているのか。 (1) 国内の避難、国外への避難ともにオンラインで授業を受けている。 (2) 今年は、7月~8月に大学の入学試験(HMT)がオンラインで行 われた。 10 現地は、どのような状況にあるの

高校生からの質問1

  避難生活1 1 幼い子供や、お年寄りがいる家庭は、どうやって避難しているのか 。 (1) そのまま留まる人たちは、地下食料保存室などのシェルターへ避難 する。 (2)戦争が始まってから国家総動員法が定められ、18才から6 0才までの健康な成人男子は国外へ出られない。父親が妻、子供、 年老いた親を国境まで送り届け、国境で別れを惜しむという光景を 多々目にしてきた。 2 国外避難せずに国に残っている人達の中で、地下鉄の駅などに行か ず、家にいる人たちはなぜ避難しないのか。 (1) 避難する気力を失っている人、お金がない人が大勢いる。80才以 上の高齢者に多い。幼少期に第二次世界大戦を体験し、今また戦争 を体験している。 (2) 仕事の性質上、地域を離れることができない人も大勢いる。医者、 看護師、警察や消防、スーパーやデパートに勤務する人等々、これ らの人で自宅及び自宅階下で生活する人は大勢いる。全員が避難す るわけではない。 3 戦争が起きてからまだウクライナにいる人の割合。 (1) ウクライナの人口は約4400万人で、国連UNHCRの統計では 1030万人が国外へ避難している。したがって、 約3370万人がウクライナ国内にいることになる。 4 一度他国に避難したがウクライナに戻った人もいるとニュースで見 たが、なぜそのような人たちはウクライナに戻る決断をしたのか。 また、どこに戻ったのか。 (1) ウクライナに戻る人の多くは、ポーランド語や英語を話せないため に、仕事が見つからなかった人たちである。意外かも知れないが、 ウクライナ西部へ戻れば何とかアルバイトを見つけることができた 期間があった。

ロシアのパスポート

  ロシアが占領した地域で、ロシア化が進んでいます。物資はロシア製、通貨はルーブル、そして、パスポートまで。 ロシアのパスポートを所持していれば、ロシア人? あなたは、どう思いますか。